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アメリカ人が日本語で映画を語るブログ

映画の解釈と分析を綴ります。

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【映画】シビル・ウォー

映画 - 分析 -
個人の権限 vs. 機関の権限

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僕の最初のブログエントリーへようこそ。

 

まずは、ネタばれ注意と伝えたい。このブログは僕のアマチュア映画分析だから、映画の内容を表面より深く語ろうとするからネタバレはしょうがない。それにこのエントリーを読む前に、その映画を見た方がいいと思う。このブログでの僕のゴールは、人気な映画について、もうちょっと深く考えることを勧めたいと思っている。今回の映画はマーベルの「シビル・ウォー」について。こういうスーパーヒーローの映画は、浅いエンターテイメントだと思いやすいけど、びっくりするぐらい深いよ。

それじゃあ始めよう。


映画「シビル・ウォー」で、アベンジャーズは半分に分裂してしまい、主要キャラクターであるキャプテンアメリカとアイアンマンは「ソコヴィア協定」をめぐって闘争している。なぜかというと、その協定を通じてアベンジャーズはもう自分達でアベンジャーズに関しての決定ができなくなってしまうからである。その決定力は国連に譲ることになる。アイアンマンは「ソコヴィア協定」を締結したいけどキャプテンアメリカはしたくない。それはちょっと変だと思わない?兵士はどんな政府とも関わらずに活動したいけど「天才、金持ち、女好きな慈善者」は政府と関わりたいの?どうやってこんなに正反対になったのかな?


アイアンマンの理由はウルトロン。映画「エイジ・オブ・ウルトロン」では、アイアンマンは宇宙からの脅威から地球を守るためのロボット軍を作りたかった。そのために人工知能搭載したロボットを作ったんだけど、結局その人工知能搭載ロボットは人類を絶滅させたいと思うことになり、ソコヴィア、南アフリカそして韓国に死と破滅をもたらすことになってしまった。アイアンマンは人々を守って「善の行い」をしようとして完全に失敗した。

 

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キャップはどうなの。兵士でしょう。第二次世界大戦に陸軍の兵士としてヒドラと戦って65年後生き返り、恋人のシャロンカーターが作ったS.H.I.E.L.D.に所属して、また兵士として戦っていた。それなのに、映画「ウインターソルジャー」ではS.H.I.E.L.D.がヒドラに潜入されていたことが分かった。キャップは軍隊、次いでS.H.I.E.L.D.に国に仕えてただ「善の行い」をしようとしていただけなのに、逆に悪者に仕えてしまっていた。

 

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この時点でこの二人の英雄はもう結構幻滅している。アイアンマンはもう自分の決定を下す能力を信用できないから、その責任を権限のある上級機関に譲りたい。一方、キャップはもうそういう権限のある機関が信用できないと思っている。これでアベンジャーズの英雄達は「ソコヴィア協定」に従うかどうか決定を下さなければならなくて、結局意見が違うからドイツの空港で戦わないといけないことになるんだけど、そのシーンはめっちゃ面白かった。でも一つ心がけてほしい大切なことがある。この戦闘の原因はどうやって「善の行い」をすればいいのか、という哲学的な問題。この戦闘員の中で誰も富や力を求めていない。一番良い人を助ける方法をめぐって戦い合っている。みんな正しくて。みんな間違っている。


この哲学的な問題を現実の世界に置き換えてみよう。どんな時に人は自分の決定をする権力を、より高い権限のある上級機関に譲るべきなんだろう。政府もそういう時ってあるの?要するに民主主義の政府だったら、理想的なのは政府の決定はその国の人々の決定なはずでしょう。

 

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まずはアイアンマンの考えを現実の世界に置き換えて、例を挙げよう。2002年に、イラクと戦争した方がいいと思った米国人が十分に多かったから米国はイラクと戦争を始めた。ブッシュ政権は米国の国民に、サッダームフセインが生物化学兵器を持っていてアルカイダと関わりがあると述べた。たくさんのアメリカ人がそれを聞いて、9月11日のテロ事件みたいな事がまた起きないようにするために戦争をするしかないと思っていた。でも国連のほとんどはその戦争とその理由に反対していた。国連安保理で「決議1441」が採択されて、アメリカによるイラクへの侵入は禁じる、と決められた。でもたくさんのアメリカ人の目には、この決議ではアメリカの主権を攻撃されたことと同じように映った。だって、なんでこの外国の政府(国連安保理)は、アメリカに自分の守り方について命令を出せると思っているの?それでブッシュ政権は国連を無視して、アメリカを守って生物化学兵器を回収するためにイラクに潜入した。でももちろん、結局、完全にアメリカは間違えていた。生物化学兵器はなかった。アルカイダとの関わりもなかった。今2016年に、そのせいでISISが問題になっている。しまった。やっぱりアメリカの政府はより高い権限のある上級機関に譲るべきだった。今回アイアンマンの考えにすればよかった。

 

それでも、キャプテンアメリカの、「機関より個人を信用する考え」が正しい時の例を挙げることは難しくない。僕の頭にすぐ思い浮かぶ、権限のある上級機関に反して行動した人の例はマーチン・ルーサー・キング牧師、オスカー・シンドラー、ハリエット・タブマン、ジョン・ラーベそして杉原千畝。この個人は当時の上級機関に反して活発に行動して、無数の命を救って、確実により良い世界を造っていたのにそのために処罰された。この英雄達は、当時たくさんの人に犯罪者だと思われたけど、時間が経ち遠い歴史になって、やっと社会の道徳感覚が変わって、現在の僕たちが振り返って見てみると、彼ら英雄だとと認められる。こういう個人がいるから、キャプテンアメリカは機関より個人を信用する。それはもちろん正しい。

 

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だからこの映画は素晴らしい。もちろん楽しくてSFでアクション形だけど。考えてみたら、この話の核心には、結構考えさせられる哲学的な問いかけがある。この物語の二人のキャラクターは戦い合っても、観客の目にはヒーロというより、スーパーヒーローとして映る。こうやって、権限のある機関(アイアンマン)と個人(キャプテンアメリカ)の両方にヒーローを置くことによって、どちらが良いか悪いかという偏見を無くして、武力の使い方についてこの哲学的な問いかけについて探ることができる。映画の中で両方の意見が見える。映画を見た後でそれについて友達と話した時、もし一人の友達はチームアイアンマンで、もう一人の友達はチームキャップだったら、二人とも同時に正しいけど間違っている。もちろん個人も邪悪になれると皆知っている。だから権限のある機関が必要でしょう。でも機関も邪悪になれるでしょう。だからその機関が腐ってしまったとき、機関を関を直す又は完全に崩すことは個人の責任。


こういうSFアクション映画は、ただポップコーンを食べながら脳をオフにして見て楽しむだけの映画だと思いやすい。でもちゃんと見ながら脳をオンにした方が面白くて楽しいんじゃない?