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アメリカ人が日本語で映画を語るブログ

映画の解釈と分析を綴ります。

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ザ・ネオン・デーモン

映画 - 分析 -

美の所有の欲望

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長い間ブログを更新しなくてごめんね。最近就職して、シアトルに引っ越してきたから忙しすぎてあまり映画を見れなかった。でも生活はもうちょっと落ち着いたからブログに戻ろうと思って、映画「ザ・ネオン・デーモン」について書こうと思う。

 

でもその前に、告白したい。僕は視覚的なシンボリズムを察知するのは苦手だ。映画は視覚的な媒体なので、映画を分析しようとする時にそのせいで困ることがある。だからそれをもうちょっと上手になりたいと思っているから「ザ・ネオン・デーモン」の中の、分かったシンボリズムと如何にテーマとつながっているかについて書いてみたいと思った。

 

普通はしないけど、今回短いあらすじを書く。この映画は結構、怪奇なのでストーリーの基本的な出来事を絞ったら助かると思う。これからネタバレ。

 

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主人公のジェシーはロスの新しいモデルで周りの皆はジェシーの自然な美しさに困惑している。ジェシーは陶器の様な色白肌、目が大きくて手足も長くて、金髪の純粋な若い女の子。つまりモデルの世界で一番求められているタイプ。このおかげでジェシーはすぐに成功し始めて、通常より早く有名な写真家と働くチャンスを手に入れる入れる。ジェシーは他のファッション業の3人の女性に会った。二人はモデルで一人はメイクアップアーティスト。モデルのジジとサラは友達の振りしてジェシーが成功しないように陥れようとしている。メイクアップアーティストのルビーはジェシーのことを好きになって性的関係を持とうとしている。

 

3人ともの計画が失敗する。ジジとサラの意図に反して、ジェシーの成功は実現必須みたい。ルビーはジェシーの友達じゃなくて、ただやりたいだけてってバレて拒まれてしまう。ルビー、ジジ、サラの失敗に対する対処法はジェシーを殺して、肉体を食べて、彼女の血で入浴すること。

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 じゃあ、どういうことなんだろ?

 

まずは、ジェシーは美のたとえだ。これは人々の、「美を所有して支配したい欲望」に関する映画だ。それができなければ、人々は美の絶滅を要求する。映画の至る所にこの主題を強化するイメージがある。例えば、ある場面でジェシーのベッドの隣の机に綺麗な花が飾られていたけど次の場面ではもう枯れ始めている。邸宅のいくつかの場面で、剥製の豹と狼がはっきり見える。人が所有して飾れるようにその三つの美しい生き物が殺された。

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ファッション撮影自体は、生き物の美しさを捕って所有しやすい無生物の写真に化けることだ。映画の最初の場面で、ジェシーはファッション撮影でセクシーなワンピースを着、セクシーなメイクをし、セクシーな首からセクシーな血を流していたように見えた。この映画は微細ではない。社会は美の欲望を抱いている。特に若くて純粋な女の美。もし人はその美を支配できないと思ったら、その美を壊したい。

 

映画内で美の絶滅の欲望は誇張されて映っている。だってルビーとジジとサラは、ジェシーを支配できないと悟ったら、ジェシーを殺して食べた。でも例えでしょう。当たり前に、現実ではこういう風に起きない。じゃあ、現実にどういう風にこういう社会現象が起きるの?

 

僕が最初に思いついた実例は日本のアイドル。なぜAKBの女の子達は彼氏を作っちゃダメなの?AKBの子はかわいくて、若くて、純粋で、所有可能なイメージを見せなかけなければいけない。するとAKBのファンはアイドルを恋人か友達にすることができる可能性があると想像できる。皆はAKBの峰岸みなみさんの事覚えているよね?なんかの新聞は峰岸さんが彼氏のアパートの前にいる写真を撮って公開した。彼女はパニックしすぎて髪の毛を全部切ってしまった。彼女は甘くてバカじゃなかった。もし彼氏が居ると知られたら、彼女は所有できる者に見えなくなる。アイドルの仕事を続けるため、特定なイメージを見せなきゃいけない。かわいくて純粋で無力。

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映画「ザ・ネオン・デーモン」の最初の方で、ジェシーは甘くて無力な感じで好かれていた。でも自分の力の使い方を悟ったら、所有できる者じゃなくなった。それでその周りの偽物の友達はジェシーの力を奪うために彼女を殺して、肉体を食べて、血で入浴した。例えば、死んでいる豹をリビングに飾っているお金持ちのクソ野郎みたい。そういう人の望みは、確かに家でお客さんがその牙を剝いている死豹を見て「こういう美しくて強力な生き物を所有している人はきっとすごい強力だよね。」と思うこと。

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ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

映画 - 分析 -

アイディアの大切さ 

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僕はハリーポッターの大ファンではない。ハリーポッターシリーズの全部を2回見たけど、本を読んだことがないのでハリーポッター世界について深い知識が全然ない。それでもハリーポッターの映画、結構好きだった。それよりもその八つの映画のシリーズは奇跡って認めている。もし出た時、僕がもうちょっと若かったら、きっと大ファンになっていたと思う。だから「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」の予告を見た時は、わくわくした。ハリーポッターの世界の中で、他の時と他の所のキャラクターについて映画を作るのはめっちゃいいアイディアだと思った。でも、あいにくファンタスティック・ビーストをそんなに好きじゃなかった。この映画は二つの違うストーリーがぶつかり合ってくっついたって感じだった。悲劇はどちら片方のストーリーの映画だけにしても面白かったと思う。これからネタバレだよ。

 

第一のストーリーは、簡単でメインキャラクターのニュート・スキャマンダー中心。基本的にはニュートは魔法動物を集めて研究する科学者だ。目的は現実の普通の動物学者と同じだと思う。幻の動物を守るため研究して人に教えたい。誰でも知っていると思うけど、不明なことは人間にとって怖い。怖いものをできるだけ無くすのは人間性。魔法使いは結局人間でしょう。このストーリーの中で、環境保護主義と自然保護主義のテーマ入っているようだけど、この映画はその主題について映画内では何もしない。誰もニュートの環境保護主義と争わない。この映画はこういう主題を持ち出しておきながら、その後忘れちゃうみたい。

 

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第二のストーリーは、アメリカ合衆国魔法議会の魔法保安局長官のグレイブス中心。彼の闘争相手はセコンド・セイラマーズの偏狭なリーダのメアリー・ルー・ベアボーン。グレイブスの主要な目的は、魔法使いの存在を秘密として守って、ノーマジ(マグル)との激しい紛争を避けること。それに反して、メアリー・ルーのゴールは魔法使いの存在をばらして激しい紛争を引き起こすこと。僕にはこのストーリーの主題の方が興味深いと思う。

 

このストーリーは同性愛者に対する迫害についての話。それはグレイブスとクリーデンス・ベアボーンの場面通して知ることができる。この二人は2、3回ぐらい誰にも見られないように夜に暗い路地で会う時がある。この場面では、グレイブスはクリーデンスを結構可愛がって触れている。クリーデンスの顔を抱き、ハグをし、額を合わせ合っている。グレイブスとクリーデンスは他のキャラクターに対してはこういう風に振る舞わないので、この行動は二人の関係の特徴を表していると言えると思う。

 

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映画の説明の中で人は魔法使いとして生まれるってことが分かる。魔法を受け入れているような環境で育つ子供は魔法の能力が出始めても、問題はない。でも魔法の力を持っている子供がそういう環境にいない時、問題は発生する。メアリー・ルーのように魔法を怖がって憎むような人は世界中にいるので、魔法の能力のある子はその能力を隠そうとする場合が多い。映画の説明でオブスキュラスという魔法の寄生虫のような物体があるとわかる。この物体は魔法の能力を隠している子供に蝕むらしいらしい。オブスキュラスのせいで、そんな子供は抑制できない激しい力で破壊し続けてそのうちその寄生虫のような物体に命までも奪られる。

 

こういうことは同性愛者とどういう関係なの?米国と英国で、つい最近まで同性愛は実は法律違反だった。最近と言えば、アメリカでは2003年まで14州で同性愛セックスは違法だった。世界中の同性愛者の迫害について詳しくはないけど、アメリカとそんなに変わらないと考えてもいい気がする。日本とアジアでの同性愛者の迫害の歴史はどういう感じだったか全然わからないけど、自分の目で見たことに加えて、日本に住んだことがある同性愛者の知り合いから聞いたことによると同性愛は日本の社会であまり受け入れていない。日本では同性愛者だからという理由で住宅、仕事、病院、銀行のサービス、教育を拒否しても違法ではない。だから日本でもアメリカでも世界の色々な所で、自分の性的指向を隠さなければならないと思っている同性愛者は多いでしょう。

 

ファンタスティック・ビーストはアメリカの1920年代が舞台になっていて、その時同性愛は社会のほとんどの場所で全然受け入れられていなかった。でも時々、同性愛者はお互いを見つけ秘密の社会として支え合うことができた。アメリカ合衆国魔法議会の魔法使いみたいに。でもクリーデンスみたいに、たくさんの当時の同性愛者は十分に運がよくなかった。例えば、もしある男の子が「同性愛は罪」と信じている超信心深い家族の中で同性愛者として生まれたら、クリーデンスのように自分のアイデンティティーを否定するように押し付けられたらどうなる?この映画によると正気を失う。この映画が言っていることは、人が自分のアイデンティティーを否定して精神的に健康でいることは不可能だということ。もし人は周りから必要な支持をもらえないなら、激しい破壊を起こす可能性が増える。

 

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映画の中で、もしノーマジがその1人のトラウマを受けた魔法使いが起こした破壊を見たとしたら、皆の魔法使いは狂気で危ないと思ってしまうから、アメリカ合衆国魔法議会の魔法使いはその破壊をすごく怖がっている。現実ではマイノリティーの人々は自分が所属するマイノリティーのグループの人が激しい事件を起こしたとしたら、同じように感じることがあると思う。


ハリーポッターのファンタジー世界の中で、こういう主題を反映させるのはすごくいいアイディアだと思った。でもあいにくファンタスティック・ビーストの中でその主題のために映画内で十分に時間費やせてなかったと思う。しかし、この新しいシリーズはきっとまだまだ続くから、この同性愛迫害の主題に関する展開を続けてほしいと僕は望んでいる。

【映画】スタートレックBEYOND

映画 - 分析 -
古い世界 vs. 新しい世界

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まず伝えておきたいのは、トランプが当選して一週間後にスタートレック・ビヨンドを見てからこの文章を書いたということ。だから最近の出来事は今の僕の分析に影響を与えたと思う。それは大丈夫だけど。なぜなら僕の意見では、作家の意図は観客の印象ほど大切じゃないと思うから。ちなみにネタバレ注意。

 

この映画の分析を語る前に、僕のスタートレックとの経歴を伝えておきたい。子供の頃から、スタートレックのことはあまり気に入っていなかった。演技は下手で特殊効果とコスチュームはダサくて、アクションがなくて、つまらないと思っていた。でも実は僕はスタートレックはどういう話かよく分かっていなかった。日本に住んでいた時、友人はスタートレックのファンだったから一緒に2009年のスタートレックを観た。その後ちょっと気になって、友人の好きな1987年のテレビドラマ「新スタートレック」を観てみた。

 

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ほとんどの西洋の未来が舞台になっているSFは、暗黒郷物語でテクノロジーは有害無益であることが多い。たとえばターミネーター、マトリックス、ブレードランナー、マッドマックス、猿の惑星、マイノリティリポート、ハンガーゲームの全部は暗黒郷物語だ。最近のマーベルの映画にもテクノロジーは善より害を起こしているみたい。しかしスタートレックは理想郷物語だ。スタートレックの大前提は、もし人類がお互いに酷く扱い合うことをやめたらどうなる?人類は欲張り、差別、戦争などを止めてテクノロジーを使って団結して終わりのない知識の探求をする。宇宙を探検して、新しい宇宙の文明と知り合って、いつも知識を増やそうとする。スタートレックでは人類の目的はいつも得じゃなくて知。

 

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日本に住んでいる間に講師として子供と触れ合っていた大人の僕にとって、こういう人類と世界は永遠に段々良くなるという考えはかなり魅力的だった。トランプのアメリカに住んでいる現在の僕は、この魅力的な考えを必死に抱き続けようとしている。トランプの当選は世の末ではないと信じたい。今は山ほど変化のある時代とわかっている。例えば今ポケットに入っている装置は、他の宇宙にある機械を使って僕に道案内をしてくれる。その装置を使って、国際宇宙ステーションにいる宇宙飛行士とチャットもできる。近い未来、自動運転の車に乗ったり、ドローンがピザを届けてくれたりバーチャル・リアリティーの授業を受けたりするでしょう。間違いなく未来はやってきましたよ。なので人はパニックしている。田舎にいる鉱山労働者、農家、木こり、工場労働者、兵士たちは、そんなことを知らずにこの未来の社会を造った。それから、その人達は未来の社会に取り残されてしまいそう。

 

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それじゃあ、スタートレック・ビヨンドの話に戻ろう。悪役はクラルだ。僕たち観客は彼を初めて見る時に、彼は怖そうな宇宙人のモンスターに見えるけど、後で彼は宇宙人じゃなくてフランクリン宇宙艦船のバルタザール・エジソン大佐だと知る。かつてエジソンは兵士だった。戦艦の大佐として戦争に行って攻撃的で暴力的な宇宙人の宇宙軍と戦った。彼の住んでいた世界には成功は競争と争奪からきた。そんな辛い時代に人類は、「長寿と繁栄を」するためそんな価値観が必要だった。

 

一方、スタートレック・ビヨンドの英雄は兵士じゃない。エンタープライズ艦船の乗組員は、平和の探求をしている多様な人間と宇宙人だ。彼らには闘争は起きるけど常にではなく、例外的に起きるだけだ。カーク大佐の艦船では通常行動は科学と外交中心。カーク大佐の住んでいる世界はエジソンと違うから、彼にはエジソンの自然選択の哲学は野蛮的。カーク大佐の世界の価値観は共通する目的を目指す団結と協力。しかしカーク大佐は、エジソンの様な兵士のおかげでカーク大佐の世界が存在しているということを利口な人だ。もしエジソンみたいな人がいなかったら、人類はカーク大佐の目指す未来の社会を造る機会はなかった。

 

 

倫理は、時代によって決まっている。織田信長みたいな昔の英雄は、現代の倫理基準では邪悪な戦犯だ。でも、もし信長みたいな人がいなかったら、現代の平和と科学で有名な日本は存在していないでしょう。

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しかし、映画はエジソンに対する共感があるけど、彼は間違いなく悪役。自分が造った世界に捨てられた人は、どう考えても悲劇。それでも、僕たち観客は、エジソンの考え方を理解できても許すべきってことじゃない。エジソンは壊滅を通じて生き続けている。彼は文字通りに他人の命を盗んでいる。彼の望みは、人類が競争を通して、力虐殺を通して、戦争という古世界の価値観に戻ってということ。

 

それじゃあ、どうやってカーク大佐は平和な世界をエジソンから救うの?まずは、エジソンの奥底に隠れた思いやりの気持ちに働きかけて、心変わりをさせようとした。でも駄目だった。結局カーク大佐は、エジソンをいっぱい殴って宇宙に投げ出して殺した。僕の意見では、それは、この映画の一番大きいミスだったと思う。スタートレックは基本的に楽観的なはずだけど、この終わりはかなり悲観的。エジソンの心と価値観を変えるのは不可能なので、平和の新世界を守るためには彼を処分するしかない。

 

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この比喩を現実に置き換えるとどうなる?古い価値観の世界と、古い世界の人々を投げ捨てるべきってこと?古い世界の人々がいなくなるまでずっと戦うべきってこと?それとも、ベビーブーマーとその世代の価値観が年を取って死ぬまで待つべきってこと?少なくとも、この映画は古い世界の人々の心変わりは不可能と語っているみたい。

 

それは間違えだと思う。正直に言うと、この映画を造った人達はアクションっぽいクライマックスを入れたかっただけだと信じたい。人の意見と信念が変わらないという考えは、明らかに間違っている。一つの実例を挙げよう。たった8年前に米国の過半数の人は、同性結婚を許すべきじゃないと思っていた。オバマもヒラリーも、結婚の事は男対女だけにするべきと言っていた。もし同性結婚に賛成していると言ったら、人気がなくなるというのが常識という状況だった。でも、たった1年前に、米最高裁判所が、全国で同性結婚は合法であると決めたときには、調査によると米国人の過半数は同性結婚を支持していた。たった7年間で、大勢の人が考えを変えて、古い世界の価値観を捨てて新世界の価値観を抱いた。人の意見と信念は変わるよ。

 

外国人排斥、女性嫌悪、暴力、差別、白人優越主義等のトランプのアメリカが持つ古い世界の価値観が、実は段々消えていると僕は信じている。でも僕たち未来の人々は、そんな古い世界がより早く消えてほしいなら、古い世界の人を投げ捨てるべきじゃないと思う。それよりできるだけ古い世界の人々の心変わりを励まして、それからエンタープライズに乗って一緒に未来へ向かえばいいと思う。

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【映画】シビル・ウォー

映画 - 分析 -
個人の権限 vs. 機関の権限

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僕の最初のブログエントリーへようこそ。

 

まずは、ネタばれ注意と伝えたい。このブログは僕のアマチュア映画分析だから、映画の内容を表面より深く語ろうとするからネタバレはしょうがない。それにこのエントリーを読む前に、その映画を見た方がいいと思う。このブログでの僕のゴールは、人気な映画について、もうちょっと深く考えることを勧めたいと思っている。今回の映画はマーベルの「シビル・ウォー」について。こういうスーパーヒーローの映画は、浅いエンターテイメントだと思いやすいけど、びっくりするぐらい深いよ。

それじゃあ始めよう。


映画「シビル・ウォー」で、アベンジャーズは半分に分裂してしまい、主要キャラクターであるキャプテンアメリカとアイアンマンは「ソコヴィア協定」をめぐって闘争している。なぜかというと、その協定を通じてアベンジャーズはもう自分達でアベンジャーズに関しての決定ができなくなってしまうからである。その決定力は国連に譲ることになる。アイアンマンは「ソコヴィア協定」を締結したいけどキャプテンアメリカはしたくない。それはちょっと変だと思わない?兵士はどんな政府とも関わらずに活動したいけど「天才、金持ち、女好きな慈善者」は政府と関わりたいの?どうやってこんなに正反対になったのかな?


アイアンマンの理由はウルトロン。映画「エイジ・オブ・ウルトロン」では、アイアンマンは宇宙からの脅威から地球を守るためのロボット軍を作りたかった。そのために人工知能搭載したロボットを作ったんだけど、結局その人工知能搭載ロボットは人類を絶滅させたいと思うことになり、ソコヴィア、南アフリカそして韓国に死と破滅をもたらすことになってしまった。アイアンマンは人々を守って「善の行い」をしようとして完全に失敗した。

 

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キャップはどうなの。兵士でしょう。第二次世界大戦に陸軍の兵士としてヒドラと戦って65年後生き返り、恋人のシャロンカーターが作ったS.H.I.E.L.D.に所属して、また兵士として戦っていた。それなのに、映画「ウインターソルジャー」ではS.H.I.E.L.D.がヒドラに潜入されていたことが分かった。キャップは軍隊、次いでS.H.I.E.L.D.に国に仕えてただ「善の行い」をしようとしていただけなのに、逆に悪者に仕えてしまっていた。

 

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この時点でこの二人の英雄はもう結構幻滅している。アイアンマンはもう自分の決定を下す能力を信用できないから、その責任を権限のある上級機関に譲りたい。一方、キャップはもうそういう権限のある機関が信用できないと思っている。これでアベンジャーズの英雄達は「ソコヴィア協定」に従うかどうか決定を下さなければならなくて、結局意見が違うからドイツの空港で戦わないといけないことになるんだけど、そのシーンはめっちゃ面白かった。でも一つ心がけてほしい大切なことがある。この戦闘の原因はどうやって「善の行い」をすればいいのか、という哲学的な問題。この戦闘員の中で誰も富や力を求めていない。一番良い人を助ける方法をめぐって戦い合っている。みんな正しくて。みんな間違っている。


この哲学的な問題を現実の世界に置き換えてみよう。どんな時に人は自分の決定をする権力を、より高い権限のある上級機関に譲るべきなんだろう。政府もそういう時ってあるの?要するに民主主義の政府だったら、理想的なのは政府の決定はその国の人々の決定なはずでしょう。

 

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まずはアイアンマンの考えを現実の世界に置き換えて、例を挙げよう。2002年に、イラクと戦争した方がいいと思った米国人が十分に多かったから米国はイラクと戦争を始めた。ブッシュ政権は米国の国民に、サッダームフセインが生物化学兵器を持っていてアルカイダと関わりがあると述べた。たくさんのアメリカ人がそれを聞いて、9月11日のテロ事件みたいな事がまた起きないようにするために戦争をするしかないと思っていた。でも国連のほとんどはその戦争とその理由に反対していた。国連安保理で「決議1441」が採択されて、アメリカによるイラクへの侵入は禁じる、と決められた。でもたくさんのアメリカ人の目には、この決議ではアメリカの主権を攻撃されたことと同じように映った。だって、なんでこの外国の政府(国連安保理)は、アメリカに自分の守り方について命令を出せると思っているの?それでブッシュ政権は国連を無視して、アメリカを守って生物化学兵器を回収するためにイラクに潜入した。でももちろん、結局、完全にアメリカは間違えていた。生物化学兵器はなかった。アルカイダとの関わりもなかった。今2016年に、そのせいでISISが問題になっている。しまった。やっぱりアメリカの政府はより高い権限のある上級機関に譲るべきだった。今回アイアンマンの考えにすればよかった。

 

それでも、キャプテンアメリカの、「機関より個人を信用する考え」が正しい時の例を挙げることは難しくない。僕の頭にすぐ思い浮かぶ、権限のある上級機関に反して行動した人の例はマーチン・ルーサー・キング牧師、オスカー・シンドラー、ハリエット・タブマン、ジョン・ラーベそして杉原千畝。この個人は当時の上級機関に反して活発に行動して、無数の命を救って、確実により良い世界を造っていたのにそのために処罰された。この英雄達は、当時たくさんの人に犯罪者だと思われたけど、時間が経ち遠い歴史になって、やっと社会の道徳感覚が変わって、現在の僕たちが振り返って見てみると、彼ら英雄だとと認められる。こういう個人がいるから、キャプテンアメリカは機関より個人を信用する。それはもちろん正しい。

 

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だからこの映画は素晴らしい。もちろん楽しくてSFでアクション形だけど。考えてみたら、この話の核心には、結構考えさせられる哲学的な問いかけがある。この物語の二人のキャラクターは戦い合っても、観客の目にはヒーロというより、スーパーヒーローとして映る。こうやって、権限のある機関(アイアンマン)と個人(キャプテンアメリカ)の両方にヒーローを置くことによって、どちらが良いか悪いかという偏見を無くして、武力の使い方についてこの哲学的な問いかけについて探ることができる。映画の中で両方の意見が見える。映画を見た後でそれについて友達と話した時、もし一人の友達はチームアイアンマンで、もう一人の友達はチームキャップだったら、二人とも同時に正しいけど間違っている。もちろん個人も邪悪になれると皆知っている。だから権限のある機関が必要でしょう。でも機関も邪悪になれるでしょう。だからその機関が腐ってしまったとき、機関を関を直す又は完全に崩すことは個人の責任。


こういうSFアクション映画は、ただポップコーンを食べながら脳をオフにして見て楽しむだけの映画だと思いやすい。でもちゃんと見ながら脳をオンにした方が面白くて楽しいんじゃない?

筆者について

このブログについて

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僕は8年間日本に住んでいたアメリカ人だ。実は岐阜市に住んでいた。もうアメリカに帰ったから日本語の能力が下がらないように何かしたかった。だから僕の大好きなこと、映画、について日本語でブログを書こうと思った。

 

今映画はおそらく世界中で一番人気な芸術だと思う。映画は庶民のための芸術なので、ただの娯楽として軽く受け止められやすいと思う。たくさんの人は映画を花火のように観ると思う。脳をオフにして綺麗な色と爆発を楽しむだけ。でもどれぐらい映画のために時間をかけているかを考えてみて。もし一週間に一回映画を見たら、一年で100時間超えるよ。

 

もし映画を見るためにそんなに時間をかけるなら、脳をオフにしてぼーっと画面を見るのはもったいないと思う。もし何かをするためにそんなに時間をかけるなら、できる限りその時間を自分の利益になるものにすればいいんじゃない。脳をオンにしなよ。何を観ているかに注意を払って分析してみて。

 

だからこのブログでは、僕の映画の解釈と分析をシェアしたいと思った。もちろん僕は専門家ではない。このブログでは映画を観た後で僕が考えたことを記しただけだ。一つ伝えておきたいことは、僕はどんな芸術でも分析しようとする時は「作家の死」という視点を使う。「作家の死」は60年代にフランス人の評論家ロラン・バルトが考えたことだ。もし詳しく知りたかったら調べてみて。でも僕はここで簡単に説明する。映画を観たり本を読んだりするときは、作家の意図をあまり考えない方がいい。それよりその映画や本の内容自体を考えればいい。つまり一つの正しい解釈があるわけではないってこと。例えば同じ映画を何年かの間に何回か観たら、その時々によって自分の解釈は変わるかも知れない。

 

だからこのブログは僕の素人としての、映画の解釈と分析だ。僕の望みはあなたに映画についてもっと深く考えて自分で分析をしてみることを励ますこと。そうしたら花火みたいに見るよりもっと楽しく観れるようになると思うよ。

 

よろしくね。