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アメリカ人が日本語で映画を語るブログ

映画の解釈と分析を綴ります。

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ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

映画 - 分析 -

アイディアの大切さ 

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僕はハリーポッターの大ファンではない。ハリーポッターシリーズの全部を2回見たけど、本を読んだことがないのでハリーポッター世界について深い知識が全然ない。それでもハリーポッターの映画、結構好きだった。それよりもその八つの映画のシリーズは奇跡って認めている。もし出た時、僕がもうちょっと若かったら、きっと大ファンになっていたと思う。だから「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」の予告を見た時は、わくわくした。ハリーポッターの世界の中で、他の時と他の所のキャラクターについて映画を作るのはめっちゃいいアイディアだと思った。でも、あいにくファンタスティック・ビーストをそんなに好きじゃなかった。この映画は二つの違うストーリーがぶつかり合ってくっついたって感じだった。悲劇はどちら片方のストーリーの映画だけにしても面白かったと思う。これからネタバレだよ。

 

第一のストーリーは、簡単でメインキャラクターのニュート・スキャマンダー中心。基本的にはニュートは魔法動物を集めて研究する科学者だ。目的は現実の普通の動物学者と同じだと思う。幻の動物を守るため研究して人に教えたい。誰でも知っていると思うけど、不明なことは人間にとって怖い。怖いものをできるだけ無くすのは人間性。魔法使いは結局人間でしょう。このストーリーの中で、環境保護主義と自然保護主義のテーマ入っているようだけど、この映画はその主題について映画内では何もしない。誰もニュートの環境保護主義と争わない。この映画はこういう主題を持ち出しておきながら、その後忘れちゃうみたい。

 

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第二のストーリーは、アメリカ合衆国魔法議会の魔法保安局長官のグレイブス中心。彼の闘争相手はセコンド・セイラマーズの偏狭なリーダのメアリー・ルー・ベアボーン。グレイブスの主要な目的は、魔法使いの存在を秘密として守って、ノーマジ(マグル)との激しい紛争を避けること。それに反して、メアリー・ルーのゴールは魔法使いの存在をばらして激しい紛争を引き起こすこと。僕にはこのストーリーの主題の方が興味深いと思う。

 

このストーリーは同性愛者に対する迫害についての話。それはグレイブスとクリーデンス・ベアボーンの場面通して知ることができる。この二人は2、3回ぐらい誰にも見られないように夜に暗い路地で会う時がある。この場面では、グレイブスはクリーデンスを結構可愛がって触れている。クリーデンスの顔を抱き、ハグをし、額を合わせ合っている。グレイブスとクリーデンスは他のキャラクターに対してはこういう風に振る舞わないので、この行動は二人の関係の特徴を表していると言えると思う。

 

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映画の説明の中で人は魔法使いとして生まれるってことが分かる。魔法を受け入れているような環境で育つ子供は魔法の能力が出始めても、問題はない。でも魔法の力を持っている子供がそういう環境にいない時、問題は発生する。メアリー・ルーのように魔法を怖がって憎むような人は世界中にいるので、魔法の能力のある子はその能力を隠そうとする場合が多い。映画の説明でオブスキュラスという魔法の寄生虫のような物体があるとわかる。この物体は魔法の能力を隠している子供に蝕むらしいらしい。オブスキュラスのせいで、そんな子供は抑制できない激しい力で破壊し続けてそのうちその寄生虫のような物体に命までも奪られる。

 

こういうことは同性愛者とどういう関係なの?米国と英国で、つい最近まで同性愛は実は法律違反だった。最近と言えば、アメリカでは2003年まで14州で同性愛セックスは違法だった。世界中の同性愛者の迫害について詳しくはないけど、アメリカとそんなに変わらないと考えてもいい気がする。日本とアジアでの同性愛者の迫害の歴史はどういう感じだったか全然わからないけど、自分の目で見たことに加えて、日本に住んだことがある同性愛者の知り合いから聞いたことによると同性愛は日本の社会であまり受け入れていない。日本では同性愛者だからという理由で住宅、仕事、病院、銀行のサービス、教育を拒否しても違法ではない。だから日本でもアメリカでも世界の色々な所で、自分の性的指向を隠さなければならないと思っている同性愛者は多いでしょう。

 

ファンタスティック・ビーストはアメリカの1920年代が舞台になっていて、その時同性愛は社会のほとんどの場所で全然受け入れられていなかった。でも時々、同性愛者はお互いを見つけ秘密の社会として支え合うことができた。アメリカ合衆国魔法議会の魔法使いみたいに。でもクリーデンスみたいに、たくさんの当時の同性愛者は十分に運がよくなかった。例えば、もしある男の子が「同性愛は罪」と信じている超信心深い家族の中で同性愛者として生まれたら、クリーデンスのように自分のアイデンティティーを否定するように押し付けられたらどうなる?この映画によると正気を失う。この映画が言っていることは、人が自分のアイデンティティーを否定して精神的に健康でいることは不可能だということ。もし人は周りから必要な支持をもらえないなら、激しい破壊を起こす可能性が増える。

 

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映画の中で、もしノーマジがその1人のトラウマを受けた魔法使いが起こした破壊を見たとしたら、皆の魔法使いは狂気で危ないと思ってしまうから、アメリカ合衆国魔法議会の魔法使いはその破壊をすごく怖がっている。現実ではマイノリティーの人々は自分が所属するマイノリティーのグループの人が激しい事件を起こしたとしたら、同じように感じることがあると思う。


ハリーポッターのファンタジー世界の中で、こういう主題を反映させるのはすごくいいアイディアだと思った。でもあいにくファンタスティック・ビーストの中でその主題のために映画内で十分に時間費やせてなかったと思う。しかし、この新しいシリーズはきっとまだまだ続くから、この同性愛迫害の主題に関する展開を続けてほしいと僕は望んでいる。